成長希少疾患の未来を切り拓く ― Orchard Therapeutics社が描く遺伝子治療の可能性

私たちの体は、受け継いだ遺伝子によって形づくられています。しかし、稀に遺伝子に異常が生じると、発育や免疫機能に重大な支障をきたすことがあり、患者さんとその家族に深刻な影響を及ぼします。

そこで開発されたのが、特定の遺伝性疾患の治療や予防を目的に、正常に機能する遺伝子を体内に補う「遺伝子治療」と呼ばれる技術です。2015年に設立され、2024年に協和キリンの一員となったOrchard Therapeutics社は、造血幹細胞(HSC)遺伝子治療をリードする企業です。この治療法は、1回の治療によって、重篤で、命に関わることもある先天性遺伝子疾患に新たな可能性をもたらす画期的なアプローチです。

世界中の患者さんにこのLife-changingな治療を届ける歩みについて、遺伝子治療の先駆者でOrchard Therapeutics社のCEOを務めるBobby Gaspar博士に話を聞きました。

Bobby Gaspar博士のプロフィール

世界の第一線で活躍する科学者・医師。医学・バイオテクノロジーを専門とし、25年以上の経験を持つ。遺伝子治療のグローバルリーダーであるOrchard Therapeutics社(2024年から協和キリン傘下)の創設メンバーの一人で、科学面で中心的な役割を果たしてきた。現在は同社の最高経営責任者(CEO)を務める。2024年、Bobby博士は遺伝子治療の先駆者としてTIME誌の「TIME100 Health」に選出。さらに、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)グレート・オーモンド・ストリート小児保健研究所にて小児科および免疫学の名誉教授も務める。

SFの世界だった治療法が、希少疾患治療の最前線へ

–この治療法の開発に至った経緯とOrchard Therapeutics社設立までの道のりについて教えてください。

小児科医としてキャリアをスタートした私は、ロンドンにある世界でも有数の小児病院で働いていました。重篤な遺伝性疾患を抱える子どもを担当した際、その治療方針について教授らに尋ねると「遺伝子治療を受けることになる」と言われました。正直なところ、チームで最も経験が浅い私に対し、冗談を言ってからかっているのだと思いました。当時はそれほど、SFの世界の治療法のように聞こえたのです。でもそれは事実で、その子は、英国で初めて何らかの遺伝子治療を受けることになっていました。これはすごいことだと思いました。

私は、自ら申し出てその子の治療に関わることになりました。前例のない治療だったため、治療プロトコルの作成や倫理審査の申請に加え、治療の進め方を一から考える必要がありました。その過程が私には非常に刺激的でした。これほどのインパクトをもたらしうる治療が存在することを知り、強く心を動かされたのです。その後、研究室に入って博士号を取得し、同じ病院で遺伝子治療プログラムの立ち上げに携わりました。当初は6ヶ月の予定でしたが、気づけば25年が経っていました。

また、私はユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の教員としても、遺伝子治療の開発と実用化に取り組みました。もう一人の研究医とともに、世界有数の規模を誇る遺伝子医療プログラムを構築し、遺伝子治療によって遺伝性疾患を是正しうることを初めて実証したのです。私たちが最初に治療に成功したのは、2001年のことです。患者さんだった男の子は今では大人になり、免疫機能も正常に働いています。大学を卒業して、自身の日常をSNSにも投稿しています。彼が今このような人生を送れているのは、たった一度の遺伝子改変細胞の投与を受けたおかげなのです。この治療が、彼や彼のご家族に与えたインパクトを目の当たりにし、その大きさに驚きました。

年月を重ねるごとに、世界各地から子どもたちが治療を受けるためにロンドンにやってくるようになりました。そして、その大半でこの治療法は非常に良好な結果をもたらしました。患者さんを実際に治療し、その効果が本人はもちろんご家族にも及ぶ様子を目にすることは、私に非常に大きなやりがいと満足感を与えてくれました。一方で、こうした取り組みを学術界の枠内に留めておくのではなく、研究成果を標準的な治療法へと発展させ、世界中の患者さんに届けられる組織へと広げていく必要があると認識するようになりました。事業の進め方に対して大きな発言権を持つことができるように、自分たちで会社を立ち上げてはどうかという投資資本家からの提案があり、その道を選ぶことにしたのです。

Bobby Gaspar博士の写真

これまでの常識を変える、造血幹細胞遺伝子治療

–HSC遺伝子治療とは、どのような治療法ですか?

HSC遺伝子治療は遺伝子医療の一種で、患者さんの体から血液幹細胞、すなわち造血幹細胞を採取し、正常に機能していない、あるいは欠損している遺伝子について、本来の機能を果たす遺伝子のコピーを導入する治療法です。この遺伝子の導入にはウイルスベクターが用いられます。こうして遺伝子改変された造血幹細胞は患者さんの体内に戻され、そこで移動・増殖し、やがて全身にわたって機能するようになります。

–この治療法のどの点が画期的なのでしょうか?

最も重要なポイントの一つとして、1回の投与で長期にわたって効果が持続しうる点が挙げられます。他の遺伝子医療とは異なり、HSC遺伝子治療では、ウイルスベクターによって新しい遺伝物質が細胞の染色体に組み込まれます。そして、細胞が分裂するたびに、修復された遺伝物質が受け継がれます。つまり、細胞分裂が起こるたびに、同じ遺伝子改変を受けた細胞が新たに生み出されるのです。研究室で遺伝子改変された造血幹細胞(HSC)を患者さんの体内に戻すと、遺伝子改変を受けた細胞が体内で増え続け、生涯にわたって維持されるため、治療効果が長期間持続しうるのです。

もう一つ非常に革新的なのは、造血幹細胞が血液系を構成するあらゆる要素へと自然に分化できるという性質です。白血球や免疫細胞、赤血球、血小板のほか、単球/マクロファージと呼ばれる細胞にも分化します。これらの細胞は体内の他の組織に移動することができるため、さまざまな疾患に対応できる可能性が広がります。例えば、脳に移動して脳内に新しい遺伝子を届けることも可能です。私たちは、実際にこの方法で神経変性疾患の治療を行ってきました。15年近く前に治療を受けた患者さんが現在も正常な発達を続けています。この疾患においては極めて異例なことです。HSCアプローチの力は、それほど大きいのです。

目的と存在意義に立ち返り、困難を乗り越え成功へ

–Orchard Therapeutics社の歩みの中で大きな困難にぶつかったことはありましたか?

会社を立ち上げ、事業を進めていく中で、金融市場に依存して資金調達を行っていた時期がありました。当時、遺伝子治療の分野で起きた出来事の影響で市場の見方が悲観的になり、以前のように資金を調達することができなくなったのです。その結果、やりたいと思っていたことすべてにリソースを割くことは、もはや不可能であることが分かりました。一部の開発プログラムを断念し、人員についても削減せざるを得ませんでした。本当に厳しい時期でした。

当時、従業員は約250人いましたが、会社として支えられるのは150〜160人が限界で、結果的に全体のおよそ3分の1にあたる人員を手放すことになりました。しかし、この決断をしなければ、会社として生き残れず、前に進むことはできないというのが現実でした。どれほど辛い決断であっても、これから進むべき方向について社として結束する必要があり、その方針を組織全体にきちんと伝えなければなりませんでした。この出来事は、Orchard Therapeutics社にとって極めて重要な転換点となりました。

–その困難をどう乗り越え、会社を存続させたのでしょうか?

目標を絞り込み、組織の存在意義を明確にしたことで、社内の空気が一変しました。そこで私は経営陣に、「これからは厳しい道のりになる。それでも、共に戦ってくれるか」と問いました。すると全員が、「ぜひ一緒にやり遂げよう」と答えてくれました。

私は、会社にとって最も重要なのは人であると強く信じています。私たちの従業員は一度覚悟を決めると、持てる力のすべてを注いでくれます。体制のスリム化を迫られ、場合によっては5人のチームを組むことさえもできない状況でした。それができるだけの余裕がなかったのです。しかしながら、厳しい環境下で働かなければならなかったにも関わらず、私たちの仲間はプロジェクトに対してゆるぎない意志で貢献し、試練を乗り越えて力を発揮してくれました。

私は、これで会社が救われたと思っています。ただしそれは、私たちが自分たちの存在意義を明確に理解し、全員が同じ方向を向いて、並大抵ではない努力が必要だと覚悟を決めていたからこそ成し得たことでした。私たちは、逆境の中でも立ち止まらず、絶えず成長を目指す姿勢を「STRIVEマインドセット」と名付け、会社の指針として掲げました。こうした厳しい決断と覚悟が、最終的に成功へと導いてくれたのだと思います。そのおかげで、私たちは前に進むことができ、医薬品の承認を得るまでに至りました。これは、小規模の会社としては驚くべき成果です。

–そうした存在意義の意図について、治療に直接関わっていない従業員にはどのように共有しているのですか?

私たちの会社には、科学や医療の専門的なバックグラウンドを持っていない従業員も多くいますが、何をしている会社なのかを理解してもらう必要があります。そのための最善の方法は、患者さんとそのご家族から直接声を聞くことです。そこで、ペイシェントエンゲージメント※1活動を担当するチームが中心となり、ご家族に体験を共有していただく機会を設けています。こうした取り組みを通じて、従業員一人ひとりが存在意義を共有し、自分たちの仕事が患者さんの命を救うことにつながっていることを実感できていると思います。

直近の全社向けの集まりでは、残念ながら治療が間に合わず、現在は車椅子で生活しているお子さんのご家族をお招きしました。一方で、その妹さんは治療が間に合い、今では元気に走り回っています。二人そろって参加してくれましたので、遺伝子治療が人生にどれほど大きな違いをもたらしうるのかを、従業員一人ひとりが自分の目で確かめることができました。こうした現実をチームに伝えることは非常に重要だと思いますし、従業員からも、このような機会が大きなモチベーションにつながっているという非常に前向きな反応が寄せられています。

  1. ※1患者コミュニティとの相互交流を通じて、患者さんや介護者の生活やケアにおける課題を深く理解し、課題解決のために共創する取り組み
2024年に実施された社内イベントでの集合写真

遺伝子治療を世界中のより多くの患者さんへ-未来に向けた共通のビジョン

–協和キリンとのパートナーシップについて教えてください。

協和キリンの一員としての取り組みは、非常にやりがいがあり、多くの成果につながる関係を築けています。これまで以上に多くのことができていますし、リソースを共有し、研究力をどう掛け合わせられるかについても検討しています。私は、両社にはいくつかの共通点があると感じています。

まずはマインドセットです。Orchard Therapeutics社で大切にしている「STRIVEマインドセット」は、協和キリンの「KABEGOE Principles」とそれに基づく行動と非常に親和性があります。Orchard Therapeutics社で行ってきたすべての活動には、KABEGOEの要素が含まれています。つまり、「創意工夫をする」、「正しいことをする」、「患者さんを思いやる」、「勇敢である」、「柔軟に動く」、「大胆に動く」といったことです。私たちも正式にKABEGOE Principlesを取り入れたいと考えています。

もう一つは、私たちが進める治療法も、協和キリンも患者さんを中心に据える姿勢を徹底している点です。協和キリンは「Life-changingな価値」を生み出すことを目指しており、私たちも希少疾患だけでなく、より一般的な疾患に対しても幅広く治療法を提供していくという点で、共通のビジョンを持っていると考えています。

–Orchard Therapeutics社と遺伝子治療の今後についてどのようにお考えですか?

現在は希少疾患を対象としていますが、多くの疾患に対して劇的な効果をもたらすことができると考えています。最終的には、遺伝子治療が標準医療として広く認められることを目指しています。つまり、治療法が標準化され、より多くの患者さんに届けられる状態にするということです。まだその段階には至っていませんが、パイプライン上の開発プログラムを進めているところです。

HSC遺伝子治療は、日本ではまだ承認されていませんが、協和キリンと協力して承認に向けた規制当局の手続きを進めています。科学的な課題であれ、規制上の課題であれ、私たちはこれまで多くの困難に直面してきましたし、それは今後も続くでしょう。でも、これほどまでに優れた治療効果をもたらすことが分かっていれば、困難を乗り越える方法は必ず見つかります。

Bobby Gaspar博士の写真

HSC遺伝子治療の将来

本インタビューの後、2025年12月には、異染性白質ジストロフィーを含む2つの遺伝性疾患が、米国推奨統一スクリーニングパネル(RUSP: Recommended Uniform Screening Panel)に追加されたことが発表されました。RUSPは、新生児スクリーニング(NBS)の対象として連邦政府が推奨する医療疾患のリストです。現在、全米の出生数の半数以上を占める14州で、新たに承認された疾患を各州のNBSパネルに迅速に反映させることを目的とした、RUSPに沿った法制度が整備されています。 NBSによって、リストに掲載された疾患を特定することが可能となり、最も早い段階での治療につなげることができます。世界的にも、地域主体の取り組みが進んでおり、患者さんやご家族への医療・支援のアクセス拡大に向けた一歩として非常に期待されています。

Orchard Therapeutics社のチームは、こうした成果の実現に大きく貢献してきました。同社は、存在意義を共有し揺るぎないコミットメントを持って取り組むことが、驚くべきインパクトを生み出せることを体現しています。