ペイシェント「もし自分ががんになったら?」がん経験を「見える化」する新たな取り組み【製薬4社イベントレポ】

製薬企業4社(武田薬品工業、第一三共、参天製薬、協和キリン)が協働し、患者さんやそのご家族と直接対話を通じて真のニーズを知るための取り組み「Healthcare Café」。その第2回が、2022年12月6日、第一三共の主催で開催された。

今回のテーマは「がん」。自身もがん経験者であり、NPO法人「がんノート」代表の岸田徹さんと株式会社しごと総合研究所 代表の山田夏子さんがタッグを組み、2名のがん経験者のお話をグラフィックファシリテーションの手法を用いて、言葉と絵で当時の出来事や感情を丁寧に紐解いていく。ここでは、本イベントの様子をレポートする。

「Healthcare Café」(ヘルスケアカフェ)とは

病気や障害を持つ患者さんなどの当事者と製薬企業の従業員が対話・交流を通じてお互いを知ることで、当事者の視点・ニーズを医薬品の研究および開発に活かすことを目的とする交流イベント。毎回担当となる製薬会社が、疾患やテーマを決定する。

子育てと乳がん治療に向き合って

1人目は中学生と高校生の2人の子どもを育てる三橋美香さん。乳がんが発覚したのは11年前。何気なく行った乳がんのセルフチェックで右胸にしこりを感じたことがきっかけだった。

「まさか自分が‥‥?」普段通りの生活を送るも、不安や恐怖が消えることはなかった。迷った末に、専門の医療機関で乳がん検査を受けた。検査をすればすぐに結果が判ると思っていたが、医師にはより詳しい検査を提案された。

いくつかの検査を経て、結果を待つ間は永遠のように感じた。「乳がん」が判明したのは、最初の検査から3週間後のこと。「私、死んでしまうの?子どもたちはどうなるの?」あまりの衝撃に頭が真っ白になった――。

その後、紆余曲折を経て現在の主治医と出会う。絶大な信頼を置いているという主治医には、病気以外の話題を話すことも多く、素直に感情を出せる貴重な存在だという。

抗がん剤治療を始めたのは、長女が小学1年生の時。抗がん剤の影響で、付き添い登校ができない自分を心配させまいと気丈に振る舞う娘の姿は今も忘れることはできない。そんな娘に乳がんをカミングアウトしたのは、小学5年生の時。娘は「知ってたよ」と言った。

(カミングアウトした)当時を思い出すと、「何も知らされずに(娘を)不安にさせてしまわなかっただろうか、もっと早く伝えるべきではなかったか‥‥」と今でもたくさんの思いが交差する。正解は分からないけれど、娘に自分と同じ経験をさせないための決意は行動で示していくつもりだ。

現在は、キックボクシングなど趣味も楽しむことも大事にしているという三橋さん。「子どもも手を離れてきたので、これからは自分がやりたいことを楽しみたい。今しかできないことも毎日楽しんでいきたい」と語った。

働き盛りで小腸がんが発覚

2人目に登壇したのは、希少がんである小腸がんを経験した坂井広志さん。現在は、都内に妻と7歳(Healthcare Café開催当時)になる娘と暮らす。がんが判明したのは、娘がまだ1歳の時だった。「まさか自分ががんになるとは思わない、私もその1人で――」と当時を振り返る。

画像:岸田徹さん(左)、小腸がん経験者の坂井広志さん(右)

がんが発覚した当時は、新聞社のデスク(記者の書いた記事をチェックし、誌面に載せるための責任者)として多忙な毎日を送っていた。はじめに感じた症状は息切れ。階段をワンフロア上っただけで、肩で息をしていた。

血液検査を受けたところ、重度の貧血と告げられた。併せて、大病院での再検査を勧められ、胃カメラをしたが異常は見つからない。「小腸と心臓はがんにならないと言われるほど(珍しいがん)。医師も小腸がんを疑わなかった」と坂井さん。

容体が急変したのは、6年前の12月。会社で昼食を済ませた後、急に気分が悪くなり嘔吐を繰り返した。仕事ができる状態でないのは明らかだったが、記者としての使命が優先し、仕事を続けた。「今日はもう帰りなさい」という支局長の言葉にしぶしぶ帰り支度をした。後輩の肩を借りながらタクシーで帰路に着き、家に着いたところで意識を失った。

救急搬送された病院でCT検査を受け、腫瘍の存在が判った。腸閉塞も見られたため、すぐに手術が行われた。開腹してみると小腸が破れて、がんがおなか全体に散らばっている状態。ステージ4の小腸がんと宣告された。

「(宣告された時は)もう、腰から砕け落ちる感じ」と坂井さん。はじめに浮かんだのは、1歳になったばかりの娘のことだった。「自分が死んだら、この子はどうなる?娘に父親の記憶がないままに死んでしまうなんて耐えられない」

小腸がんは希少がんであることから、その後は、少しでも症例のある都内のがん専門病院への通院を決めた。そのことを上司に伝えると、すぐに都内で勤務ができるよう、人事に掛け合ってくれた。

「毎年12月になると、どうしてもこの日のことがフラッシュバックする。支えてくれた家族とキャリアが途切れないように考えてくれた上司や会社に対しては感謝に耐えない思い」そう話す瞳には、涙が浮かんでいた。

画像:山田夏子さん、伊澤佑美さんのグラフィックファシリテーションにより「見える化」された参加者の声

2人の話が終わるとイベント参加者たちは、グラフィックファシリテーションで描かれた模造紙に自らの気づきや印象に残ったことを直接描き加えていった。

参加者のコメントを受け、坂井さん、岸田さんはそれぞれ「イベントに参加するまで、製薬会社の方々に自分のがん経験をお話しすることにどんな意味があるのかと思っていたが、自分の経験が患者さんにとってより良い薬の開発につながるならば、それは嬉しいこと」(坂井)

「ようやくがん経験者の声を届けることができて、時代の変化を感じる。時代を作り変えるためには、まず一歩踏み出すことが大切」(岸田)と語った。

がん経験者の言葉と当時の感情を親しみやすいイラストと文字、そしてたくさんの色を使って「見える化」するグラフィックファシリテーション。この手法によって、イベントに参加した製薬会社従業員たちはより深く登壇者のがん経験に思いを馳せていたようだった。

自分らしく生きる世界の実現に向けて。製薬会社ができること

画像:協和キリン東京リサーチパークにてハイブリッド開催で行われたグループワークの様子

協和キリンでは、本社関連部門と各事業場が定期的にミーティングをおこないながら、ペイシェントアドボカシー(PA)活動が進められており、「患者さんの声を聴き、自らの仕事につなげる」ことについて従業員が様々な施策を通じて理解を深めている。本イベント終了後も、同社では研究所や本社にて「患者さんが自分らしく生きる世界の実現に向けて製薬会社として何ができるのか?」をテーマに話し合いが行われ、参加者からは製薬会社の創薬の在り方の観点から次のようなコメントが挙がった。

「製薬会社の中でどれだけ議論を尽くしたとしても、患者さんからでないと得られない情報があり、対話の大事さを再認識した。」

「『病気を治す』とは、病変部位・症状を治すことに主眼が置かれている印象だったが、生活の両立ができる治療方法など、QOL向上に対するニーズの高さを感じた。」

「抗がん剤の副作用として、皮膚が水や風に触れるだけで痛い、裸足で石の上を歩いている感覚などリアルなお声が聞けた。抗がん剤は、副作用があっても続けるものという先入観があり、勇気をもって止めるという選択をされたことに目から鱗が落ちる思いがした。」

「医療従事者との信頼関係に関するお話があったが、そうした視点はこれまで持っていなかったので印象に残った。投薬の1つの方法として経口剤は比較的負担が少ないものと思っていたので、それが本当に辛いという患者さんの実情を知ることができた。」

「患者さん一人ひとりに自分らしく生きる世界がある。様々な想いに寄り添い、創薬へのヒント・気付きを得るためにも、製薬会社として引き続き患者さんの声を聴く場を積極的に作っていく必要性を感じる。」

患者さんとともに創薬活動に取り組むことを目指し、製薬4社が協働し開催する「Healthcare Café」(ヘルスケアカフェ)。患者さんの声を創薬の現場に活かそうとする本取り組みには、今後も大きな期待が集まる。

  • ペイシェントアドボカシー活動(PA活動)
    患者および医師コミュニティとの対話と連携により、社会の疾患に関する正しい理解を促進し、さらに事業のバリューチェーン全体を通じて未充足の医療ニーズの解決に取り組み、病気と向き合う人々に笑顔をもたらす活動は、協和キリンにおいて「PA(ピーエー)活動」と呼ばれている。

2023年6月には、第4回目となる「Healthcare Café」が協和キリン株式会社の主催で実施された。

第4回「Healthcare Café」小児医療を考える ~患者さん・家族や社会にとって価値が大きい薬を共に創薬する第一歩を踏み出すために~

協和キリンの「ペイシェント」についてもっと知る

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